2011/03/24 (Thu) 14:26
現代パラレル。青二才風味の4と3です。
いける!とご判断されたら、<つづきはこちら>からどうぞ!!!
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星月夜 ~なみだ坂ver.~
なみだ坂をはずむように上る。坂の上には消えてしまいそうなほど細い三日月が浮かんでいる。吐き出す息はまだ白くないけれど、ときおり吹く風は頬をぴりぴり刺激するほど冷たくて、今年も冬がやってきたなぁ、なんて思ってにやけた。冬はいい。冬はいいぞ。寒くて家まで帰るのが面倒だから、今日泊まらせて、とかなんとか。都合のいい口実にかこつけて堂々とお邪魔できる。
「なんてね」
思わず上機嫌で呟くと、背中のバイオリンがカタンと揺れた。
なみだ坂は長くてゆるい坂道だ。都会の人たちからここだけぽっかり忘れられたみたいに、周囲には何もなくて静かで、暗い。坂のてっぺんにぽつんと孤独な月があって、坂を登りきった場所に時代から取り残された年代もののアパートが建っている。二階の端の部屋だけ電気が灯っており、このアパートが現役だとわかって、みんな驚くと思う。近くに立つとまるでタイムスリップしてしまったような気になるくらい古くてボロボロなんだけど、ぼくはこのアパートが大好きだ。何も用事がない日でもバイトの帰りはいつもこの道を通って、あの光を見上げて帰る。孤独な夜の行進を助ける北極星と、それにすがるよるべない冒険者みたいに。
アパートの狭い階段を早足であがる。足音が凶暴な音をたてて、なみだ坂の静寂を破った。最初にこの階段を登ったときはその思いがけない大音量に少し戸惑ったけど、今はもうすっかり慣れた。ポケットから携帯電話をとりだして、受信済みのメールを見る。今日、このメールを何度見返したことか。自分でも呆れるけど、嬉しいのだから仕方ない。
<今日、終わったら時間あるか? この前もらった野菜を調理したんだが>
パタンと携帯電話を閉じて、息を吐いた。背中にバイオリン、胸には恋心。なんてね。
インターフォンは壊れているので、ドアをノックする。すぐにトロワがでてきた。
「ごめんね。遅くなって」
「いや、思っていたよりも早いくらいだ」
トロワの部屋は暖かくて、香辛料のいい匂いがした。あ、お腹空いたな。そう思ったら、トロワがぼくの頬にぺたりと手を当てた。トロワの手は大きくて、じんわりとあたたかい。
「寒かったのか。真っ赤になっている。早く入れ」
ぼくは非常に苦労して、笑顔を作った。自然な、友だちにむけるような笑顔を。
「お邪魔します」
ぼくは彼に恋をしている。それは今夜の三日月みたいに危なっかしい。
大きめに切った野菜がたくさん入ったポトフから、ほかほかと金色の湯気が上がっている。さらにこうばしい焦げ目のついたグラタンと、水が並べられ、食卓は整った。見た目にも美しい彼の料理は、本当においしい。ポトフの中で、つやつやと鮮やかに輝いている人参と、透明になった甘い玉ねぎは、先日ぼくが持ってきた。そのときは、無骨にごろごろしていただけの野菜たちもこんなにおいしくなれて、満足だろう。ぼくの家の近くに、昔ながらの八百屋があり、店頭には産地直送の新鮮な野菜が並んでいる。バイトの帰りに通りかかると、たくさん吊るされた裸電球にピカピカと照らされた野菜は素朴な美しさがあって、料理なんてできもしないのについ買ってしまう。それで、いつもお世話になっているトロワにプレゼントしているのだ。
なんていうのは建前で、本当はトロワの家に上がりたくて、でも手持ち無沙汰では不安で、だから色とりどりの野菜の力を借りているというわけだ。さらに、トロワは優しい上に律儀な男なので、野菜を渡した後は、それを調理してぼくをご飯に招いてくれる。ぼくは、まんまと彼の優しさにつけこんでいる。彼の優しさはときに憎らしいほどだけど。
ぼくはかばんから小さな銀色の缶を取り出した。
「新しい紅茶を持ってきたよ。食後にどうかな」
ご飯を食べさせてもらった後は、ぼくが飲み物を淹れるようにしている。彼の家の食器棚には、ぼくが持ってきたコーヒー豆とか茶葉の缶が小さいながらもスペースを確保しており、それが密かに嬉しかったりする。お湯を沸かしながら後ろを盗み見ると、トロワは熱心に本を読んでいた。その横にはぼくのバイオリンが置いてあって、ぼくは目を伏せて笑みを隠した。たったこれだけのことでぼくの幸福メーターは今夜もすっかり振り切れている。大学院進学を目指しているトロワは、難しい専門書をたくさん持っている。彼のさっぱりとした部屋の中で一番価値があるのはこの蔵書だと、いつか彼自身が言っていた。彼の宝である書物が詰まった本棚を見ていたら、一番下の段に、黒い紙袋が隠されるようにして置いてあるのに気付いた。この本棚は今までみっちり本で埋まっていたはずだ。そういえば、本棚の上にはみ出した本が積んである。几帳面な彼にしては珍しい。
「それ何?」
トロワは本から顔をあげ、ぼくの顔を見て、ぼくの視線の先が黒い紙袋だと気付くと、一瞬だけ固まった。そして振り返り、
「ああ」
と、言った。
「なんでもない。それよりカトル、もう湯が沸騰しているぞ」
「あ!本当だ」
ぼくは慌ててコンロを止めたフリをした。だけど、ぼくには怒ったように噴き上げる白い湯気も目に入らなかった。今、確かにはぐらかされた。ドキドキと心臓が騒いでいる。
紅茶を飲みながらたわいもないおしゃべりをして、ぼくは少し早めに彼の家を出た。バイオリンの練習がたまっていると嘘をついた。
夜のなみだ坂はさっきりよりもずっと寒くて、ぼくは呻きながら、首をすくめた。トロワの家で温まっていた体温が夜風に呆気なく奪われる。
「はかないね、なみだ坂」
でたらめに歌うと、馬鹿みたいに目頭が熱を持った。
なみだ坂は、「涙坂」じゃなくて「浪太坂」と書く。それを知ったとき、ぼくは少しがっかりした。なみだ坂なんて言うから、何か伝説があると思っていたのだ。例えば、悲恋の。そういう想像をして、この坂に勝手にシンパシーを抱いていた。それをトロワに言うと、彼は笑っていたけど、一年前からぼくにとってこの坂はやっぱり涙坂だ。
一年前、ぼくはトロワに告白した。
トロワの部屋は暖かくて、食卓はおいしいご飯が並んでいた。突然のぼくの告白にトロワはひどく驚いた。そして言った。
「考えさせてくれ」
その後ぼくたちは無言でご飯を食べ、ぼくは紅茶を淹れ、ほとんど無言のままぼくは彼の家を後にした。食べたものを全部吐いてしまいそうになったほど、重たい気分だった。とりかえしのつかないことをしてしまった。それだけが、頭の中を巨大なこまのようにグルグルまわっていた。それから、トロワはあの件について一切何も言わない。ぼくの恋の結末は、つまりそういうことだ。
だけど、その後もぼくは彼の友だちという場所に安住させてもらっている。彼の残酷と紙一重の優しさにすがりついたまま、心に生まれた想いを殺すことも出来ずに、ぼくはなみだ坂をのぼるのだ。
家の暗い玄関に、いつの間にか座り込んでいた。彼の部屋で見た黒い紙袋が頭にちらつく。電気をつけないまま、ぼくはベッドにダイブした。背中のバイオリンが悲鳴をあげたが、そのまま枕にしがみついた。バイオリンの練習をしないと。ぼくの中の冷たい部分から声が聞えてきたが立ち上がれなかった。
もし、トロワに好きな人ができたら――。
ぼくは、何度もしてきた質問を自分に投げかける。
もし、トロワに好きな人が出来たら、ぼくはどうするのだろう。
決まっている。友だちとして、彼の背中を押すのだ。「頑張れ」とか言うのだ。出来るはずなんてないのに、ぼくはそうするしかない。ぼくに居場所を残してくれたトロワの優しさに応えるためにも、その居場所にしがみつくためにも、ぼくはそうするしかない。でももし、古代の戯作みたいに恋で人が死ぬならば、きっとその瞬間にぼくは死んでしまう。
ぼくには予感があった。ずっとトロワを見てきたから分かる。あの黒い紙袋の中にはトロワの特別な想いが閉じ込められている。
もし、トロワに好きな人ができたら――。仮定がいきなり恐ろしいほどの現実味を帯びたとき、ぼくのまわりの闇がぐっと深くなった。一年前からずっと考えてきたはずなのに、いざ、その日が目の前に迫るとぼくの周りの全部が色褪せた。バイオリンも、マグカップも、壁の時計も、現実味を消失した。ぼくはうすっぺらになってしまった世界の中で、北極星を見失った冒険者のように途方にくれた。
暗い部屋の中でずっとうずくまっていたい気分だったけど、勝手に外は明るくなるし、時計の針は容赦なく時を刻む。世界はちっともぼくの思い通りに進まない。ぼくの世界は一年前からぼくの手の届かない場所でくるくると無慈悲にまわる。
一睡もできないまま、大学に行きバイオリンを弾いてバイト先でバイオリンを弾いた。
ぼくの世界からトロワを引いたら、トロワと出合う前のぼくに戻るだけだ。そう思うけど、ぼくは壊れた蛇口みたいにいつの間にか彼のことを考えている。バイトの帰りになみだ坂を通らない日が続いた。
<じゃがいものスープを作った。今日、終わったら時間あるか?>
久しぶりにトロワからメールが届き、ぼくは盛大にうろたえた。トロワのじゃがいものスープはどろりと濃くて、温かくて、優しい味がする。トロワが作る料理はどれもこれもおいしいけれど、じゃがいものスープはぼくの特に好きな料理だ。覚えていてくれたのか。
携帯電話を閉じて顔をあげると、平面になった世界がぼくをぐるりと取り囲んでいた。
トロワがぼくの好みを覚えていてくれた。それだけでは満足できないところにぼくはもう立っている。そのことにぼくは一年かかってようやく気付いた。嘘だ。ぼくは気付いていた。でも、その気持ちに蓋をしてずっと友だちのふりをして、願っていた。ぼくと彼が過ごした時間が空気中の小さな小さな埃みたいに、目に見えない粒子となって、彼の心に少しずつ積もってくれることを。それがいつか奇跡を起こしてくれることを。そんな日をずっと願って、彼を見てきた。ぼくは一年前から、彼の友だちなんかじゃなかった。ぼくは自分がこんなにも臆病でそして、ずるい人間だったなんて知らなかった。
結局、ぼくはなみだ坂をのぼった。今夜のなみだ坂の上にはまん丸な月がある。空気がピリピリと痛いほどに冷たい。いつの間にか本格的な冬がやってきている。吐いた息が白い。トロワに告白した日もこんな寒い日だった。帰り道、吐き出す息がことごとく白くて、それすらも心の底が抜けるほど悲しかった。なんてことを思い出すんだろう。ぼくは頬を思い切りつねって、過去の痛みを奥の方へ押し込んだ。
トロワのじゃがいものスープはやっぱりおいしかった。ぼくは絶賛し、最近バイオリンの音が悪いと教授に叱られたことやバイト先のオーナーがまたスタッフと恋愛して店内がごたごたしていることや新しい練習曲にてこずっていることなどを喋った。わんこそばみたいに次から次へと喋った。沈黙をことごとく潰した。トロワは時折相槌をうってくれたけど、どこか緊張していた。ぼくはそんな彼を見るたびに、部屋中の酸素と言う酸素が抜かれてしまったみたいに息苦しくなった。ついにトロワが言った。
「カトル、話がある」
トロワが後ろの黒い紙袋に手を伸ばす。ぼくは、脊髄にバネでも仕込まれていたみたいに、勢いよく立ち上がった。
「お茶淹れるね」
取り繕うために吐き出した言葉だけを置き去りにして、ぼくはトロワの家から飛び出していた。冷たい空気がぼくを包む。それを突き破るようにぼくは走った。バイオリン。その単語が頭をよぎったけど、後ろは振り返らなかった。
いつも暗い涙坂だけど、今夜は満月だ。月の光があたりを照らす。そのせいでぼくの足元には穴のように真っ黒な影がくっきりと出来ていた。白い息が後ろへ後ろへと流れていく。いつもとは逆方向に進む涙坂。さよなら、なみだ坂。この坂、好きだった。坂だけじゃない。八百屋も、野菜も、銀色の紅茶の缶も、涙坂の上の月も、おんぼろアパートも彼に続くもの全てが好きだった。
「カトル!」
鋭い声に思わず振り返る。坂の上にはトロワがいた。それがぼんやりとにじんでいて、ぼくは目元を乱暴にこすった。前を向き走った。優しい彼のことだ。きっと何も言わずにさよならしてれる。一年前と同じように。そう思ったが違った。こともあろうに追いかけてきた。ぼくは必死で走った。
「来ないでよ」
「なぜ逃げる」
理不尽な怒りがマグマのように湧き上がってきた。好きだからだ。片想いでも幸せだったくらい。この気持ちを失ったらバラバラになってしまいそうなくらい。そんなことも分からないような男をなんで好きになってしまったんだろう。
なみだ坂を逃げ切ることは出来なかった。坂の終わりでぼくは肩をつかまれ、その手を振りほどこうとして、思い切り体を捻ったら、足がもつれて、二人で絡まりながら派手にこけた。下り坂を全力疾走していたから、冗談みたいにゴロゴロと転がった。痛む体を起こすとお互いの鼓動が聞えそうなほど近くにトロワがいた。荒い息を吐いて立ち上がれないまま、試合前のボクサーみたいに至近距離でにらみ合う。冷たい空気がのどに痛い。
「話がある」
「聞きたくない」
トロワが一層怖い顔をした。きっとぼくも同じ顔をしている。少しでも顔の緊張を緩めたら一気に泣いてしまいそうな気がした。
肩を乱暴に引き寄せられて、殴られると思った。反射的に目をつぶったら、顔を両手でむぎゅっと挟まれた。強制アップップという思いがけないトロワの暴挙にぼくはびっくりして目をあけた。唇が触れそうなほど近くにトロワの顔があった。彼の潤んだ瞳が魚の鱗のようにきらりと光った。
「あ」
キスされた。トロワの手が熱かった。
「うわぁ!!」
渾身の力を込めてトロワを突き飛ばすと、トロワはよろけてアスファルトに倒れこんだ。が、すぐに起き上がって、手に持っていた袋をぼくの目の前につきだした。あのパンドラの黒い袋だ。その中にあったのは、白くて柔らかそうなマフラーだった。そして、彼はそれをぼくの首に巻いて言った。
「編んだ」
「……トロワが?」
「得意なんだ」
「ぼくに……?」
「他に誰がいる」
トロワはもういつもの冷静な彼に戻っている。ぼくはそんなトロワを見て、首に巻きつけられたマフラーを見て、なみだ坂を照らす満月を見た。自分の立っている座標をすっかり見失ってしまった。そんな気分だ。何がおこったのかさっぱり分からない。ひどく間抜けな顔をしていたのだろう。トロワが小さく笑った。そして、再び顔を近づけてきた。まだ混乱していたけれど、それでもぼくは意識的に逃げなかった。
二回目は、一回目よりも少し長かった。
「返事が遅くなってすまない」
目を伏せたトロワは決まり悪そうに呟いた。彼の形のいい耳が真っ赤に染まっているのをぼくは見た。
「遅い!!」
勢いをつけて全力でぶつかる。一年分のジェット噴射にトロワが小さく息を呑んだが、かまわず押し倒した。そして三回目。冷たいアスファルトの上で、熱を撒き散らしながらぼくたちは笑った。
「今夜は月がきれいだな」
トロワが言った。満月の青い光がはっきりと世界を照らす。ぼくの世界が勢いよく色づいていく。こわいくらいに。
満月もトロワの部屋に残してきたバイオリンもおいしいじゃがいものスープも、そしてなみだ坂も、ただいま。ぼくは心の中で呟いて、もう一回キスをした。
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性別:
女性
趣味:
読書
自己紹介:
再燃してかっとなってやった。後悔はしてない。
とにかくカトルが可愛すぎてたまらんしんぼうたまらん。
怖い人ではないので、お気軽に声かけてください。(中傷などは即消すけどね)
※期間限定ブログじゃなくしました。当面だらだら続けさせてください。
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